2010/11/03

藤沢七福神


藤沢七福神めぐり


七福神 名 称 所在地/交通
(恵比寿) 皇大神宮(烏森神社) 藤沢市鵠沼神明2-11-5
JR藤沢駅北口からバス「烏森公園」前下車徒歩1分
(布袋尊) 養命寺 藤沢市城南4-10-35
藤沢駅北口からバス「引地橋」下車徒歩5分
(毘沙門天) 白旗神社 藤沢市藤沢2-4-7
藤沢駅北口からバス「白旗神社」前下車徒歩3分
(福禄寿) 常光寺 藤沢市本町4-5-21
藤沢駅北口からバス「本町交番前」下車徒歩4分
(大黒天) 諏訪神社 藤沢市大鋸2-7-2
藤沢駅北口からバス「藤沢橋」下車徒歩5分
(寿老人) 感応院 藤沢市大鋸2-6-8
藤沢駅北口からバス「藤沢橋」下車徒歩3分
(毘沙門天) 龍口寺 藤沢市片瀬3-13-37
小田急線・江ノ島駅下車徒歩15分叉は、江ノ電・江ノ島駅下車徒歩5分
(弁財天) 江ノ島神社 藤沢市江の島2-3-8
小田急線・江ノ島駅下車徒歩8分叉は、江ノ電・江ノ島駅下車徒歩18分


● 藤沢七福神めぐり(藤沢市観光協会HP) 開催期間:2015年 1月7日(水)~1月31日(土)

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( 藤沢の七福神めぐり )



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● 皇大神宮(恵比寿)

 天照皇大神を祭神として祀り、境内の森に多くのカラスが生息していたことから「烏森」と呼ばれてきたことから通称「烏森神社」とも呼ばれている。
 毎年8月17日の例大祭では、各旧町内から9台の人形山車が勢揃いし、神奈川県下でも有数の規模といわれ、かながわのまつり50選にも指定されている。
 

・(場 所):藤沢市鵠沼神明2-11-5
・(交 通):JR藤沢駅北口からバス「烏森公園」前下車徒歩1分




● 養命寺(布袋尊)

 山号を引地山と称する曹洞宗の寺院。正式には「引地山 養命寺」と称し、旧東海道・藤沢宿を西へ引地川の橋を渡った旧東海道沿いにあり、 本尊の薬師如来坐像は国指定重要文化財となっている。
 

・(場 所):藤沢市城南4-10-35
・(交 通):藤沢駅北口からバス「引地橋」下車徒歩5分




● 白旗神社(毘沙門天)

 相模国一宮の寒川神社の祭神である寒川比古命 (さむかわひこのみこと)を祭神とし古くは寒川神社と称していた。
 その後、宝治3年(1249年)に源義経を合祀したとされ、宝暦2年(1752年)に社殿の再建の際、源氏の白旗に由来し「白旗神社」と称するようになったとも言われている。

 神社の東側には境川(片瀬川)が流れており、文治5年(1189年)6月13日、川の河口付近に位置する腰越において奥州平泉の戦いで打ち取られた義経の首実検が行われた際に、打ち捨てられた首が川をさかのぼり流れ着いたものを里人が神社の付近に葬ったとも、大きい亀の背中に乗り川を遡ってきたとも、また夜の間に義経・弁慶ふたつの首が、ここに飛んで来たとの伝説もあり、近くには伝承の義経首洗井戸や弁慶塚跡も残されている。


・(場 所):藤沢市藤沢2-4-7
・(交 通):藤沢駅北口からバス「白旗神社」前下車徒歩3分




● 常光寺(福禄寿)

 山号を「八王山」と称する浄土宗の寺院。正式名は「八王山 摂取院 常光寺」といい、かつて寺の裏に武蔵坊弁慶の首塚跡(弁慶塚)と伝わる塚があり、八王子権現が祀られていた。


・(場 所):藤沢市本町4-5-21
・(交 通):藤沢駅北口からバス「本町交番前」下車徒歩4分




● 諏訪神社(大黒天)

 信州の諏訪大社の建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)を祭神とし、建武2年(1335年)、清浄光寺(時宗の総本山で通称「遊行寺」で知られる)を開いた遊行上人第四代呑海が、同寺院の鎮守として、信州の諏訪から勧請したことにより創建されたと言われている。

 元禄12年(1699年)に現在地へ移転し、以来、藤沢宿東方面の大鋸町や大久保町などにおける総鎮守となっている。

 神社前の急坂は、「遊行寺坂」と呼ばれ、旧東海道(旧国道1号・現県道30号)の難所でもあった。
 毎年正月に行われる「箱根駅伝」の復路・8区では、次の戸塚中継所を目前にし通称「遊行寺の坂」の登りが選手たちを待ち受けていて、番狂わせのドラマがおきるポイントでもある。
 
 

・(場 所):藤沢市大鋸2-7-2
・(交 通):藤沢駅北口からバス「藤沢橋」下車徒歩5分




● 感応院(寿老人)

 山号を「三島山」と称する真言宗の寺院。正式には「三島山 瑞光寺 感応院」といい、建保6年(1218年)道教を開山、源実朝を開基として創建と伝えられる。
 境内にある「三島明神」は、伊豆の三島大明神(三島大社)を勧請したものと伝えられ、山号の由来にもなっている。


・(場 所):藤沢市大鋸2-6-8
・(交 通):藤沢駅北口からバス「藤沢橋」下車徒歩3分




● 龍口寺(毘沙門天)

 山号を寂光山と称する日蓮宗の寺院。境川(片瀬川)の河口部、江の島の対岸に位置し、鎌倉時代には刑場があった所である。
   文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖・日蓮がここで処刑されそうになったことから日蓮宗では「龍ノ口法難」と呼ばれ、龍ノ口刑場跡は霊蹟の一つに数えられている。
 
   その後、延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として御堂を建立たのが龍口寺の始まりと言われ、境内には龍ノ口法難の際に日蓮が入れられていたとされる土牢が残されている。
 
   毎年9月12・13日に行われる「龍口法難会」では難除け牡丹餅が振舞われ、万灯籠供養が行われる。
 

・(場 所):藤沢市片瀬3-13-37
・(交 通):小田急線・江ノ島駅下車徒歩15分叉は、江ノ電・江ノ島駅下車徒歩5分




● 江ノ島神社(弁財天)

 宗像三女神を祀る奥津宮(おくつのみや)・中津宮(なかつのみや)・辺津宮(へつのみや)の三宮を総称して「江島大神」という。

 社伝によれば、欽明天皇13年(552年)、江の島の南の洞窟に宮を建てたことに始まると伝えられ、神仏習合により「金亀山与願寺」と称する寺院であった。
 また、鎌倉時代に編成された歴史書「吾妻鏡」によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚上人が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。

 歴代の鎌倉幕府将軍・執権や代々の領主から崇敬を受け、特に北条氏の家紋である「ミツウロコ」の謂れについては、「太平記」に初代執権・北条時政が、江ノ島・弁才天に一族の繁栄を祈願したところ、弁才天となった龍神の化身が、神託を告げ消え去ったあとに三枚の鱗(うろこ)を残していったことから、これを北条氏の家紋としたとの逸話が記されている。

 江戸時代になり、弁才天信仰が盛んになると、多くの庶民が江の島へも参詣するようになった。歌舞伎の演目で知られる、弁天小僧菊之助は、江の島・岩本院(現在:旅館「岩本楼」)の稚児だったとの設定になっており、江戸からも近く当時から、物見遊山の庶民で大いににぎわったと言われている。

 明治元年(1868年)の廃仏毀釈により島内の多くの仏教施設や仏像などが破壊されるなどし、江の島詣でも一時すたれていったが、現在では日本の海洋レジャーを代表する湘南海岸の観光拠点としてたくさんの人が訪れている。
 なお、明治6年(1872年)には、仏教を廃して神社となり「江島神社」へ改称さられ現在に至る。
 日本三大弁才天の一つに数えられている。
  

・(場 所):藤沢市江の島2-3-8
・(交 通):小田急線・江ノ島駅下車徒歩8分叉は、江ノ電・江ノ島駅下車徒歩18分