2010/07/02

一つが食えぬ


【   一つが食えぬ / (厚木市)   】


 むかし、久助という人がいました。

  あるとき、いつになくにこにこした主人が、
「久助、おまえ、今日は野上がりだ。 そのごちそうに、おいしいぼたもちを、どっさり作った。 それに、うんと砂糖もきかしてある。 ふだんから、よく働いてくれるおまえだ。 今日はひとつ、どれだけ食えるか、腹のさけるほど食べてくれ」
といって、大きな皿に山ほど盛ったぼたもちを、部屋に置いていきました。

  しばらくして、主人が久助の部屋にやってきて、
「どうだ久助、ぼたもちはうまかったろう。 たくさん食べられたかな」
とたずねると、久助はしかめっつらをして、
「いやあ、だんな。 せっかくいただいたんで、腹がぶっさけるまで食いてえと思ったが、今日はまたどうしたもんか、 たった一つがとっても食べきれませんで」
といいます。

  ふしぎに思って主人がよく見ると、
なんと、山ほどあったぼたもちは、すっかりたいらげられて、
最後のただ一つが、大きな皿のまん中にちょこんと残っていました。



―――― おわり ――――




  これも厚木地方に伝わる「とんちの久助」さんのとんち話の1つです。

  この話にでてくる『野上がり』とは、むかしから農村で農繁期の終わった後に、 疲れた身体のほねやすめのための休日を言ったようです。
  年に二回ほどあり、その日は農作業を休み、ごちそうを作り、飲んだり食べたりして遊びました。

  神奈川県厚木市の七沢地区付近では、お菓子や果物などを、来客に出したとき、 遠慮して最後の一つを食べ残しておくと、「なんだ、全部食べればいいのに、久助やったな」などと言ったそうです。
それほどこの話は、地元の人々に知られ、愛されていたのでしょう。


  ・ (かながわのむかしばなし50選)より






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