2010/06/09

せなかの赤いカニ


【  9.せなかの赤いカニ /(川崎市)  】


  むかし、川崎宿の久根崎(くねさき)に、大きな寺があった。
  山門を入ったところに鐘楼(しょうろう)があり、その下には池があった。
  池には、コイやフナがいて、ほとりには小さな蟹(かに)がたくさんすんでいた。
  池の生きものたちは、お詣りにくる人たちがくれる食べ物を、なかよく分けあって、 のんびりとくらしていた。

  川や池にすむ生きものには、こわいものがあった。
  それは、群れをなしておそってくる白鷺(しらさぎ)だった。
  水草や石の下にかくれても、あのするどいくちばしで、 つつかれて食べられてしまう。
  フナたちは、何よりも白鷺をおそれていた。

  ところが、この寺の池にだけは、白鷺がおそってこなかった。
  それは、朝に夕に、寺の小僧たちがつく鐘のひびきが、 ぶきみに聞こえたからだった。

ゴーン、 ゴーン、 ゴゴーン

  鐘の音は、遠く多摩川の川面をわたって、池上の里にまでひびいた。
「つり鐘さまのおかげじゃ」
と、池の生きものは鐘に感謝して、小僧さんが来ると、いっせいに池の水面に出てきて、 お礼をいっていた。
幸せな毎日だった。

  ところが、ある夏の夜、近くから出た火事が、強い風にあおられて、 家々を焼きはらい、寺におそいかかってきた。
  山門はめらめらと燃えあがり、いきおいづいた炎は、鐘楼(しょうろう)にせまってきた。

  寺の坊さんも、町の人たちも逃げてしまった。
  そのとき、池の中からぞくぞくと蟹が出てきて、鐘楼をよじのぼり、 口から泡を吹き出して火を消そうとした。
  炎はいかりくるったように、蟹を焼き殺していった。
  だが蟹は、焼かれても焼かれても、つぎからつぎと鐘楼をのぼっていった。

  それは、蟹と炎のたたかいだった。
  おそろしい一夜が明けた。
  一面の焼け野原の中に、寺の鐘楼だけが残っていた。
  だがその下には、何百という蟹が、火の粉をあびて死んでいた。

  寺の坊さんは、
「おお、おお、蟹たちが命がけで鐘楼を守ってくれたのじゃ」
と、手を合せた。

  それからは、池の蟹は、火の粉をかぶったように、せなかが赤くなったという。



―――― おわり ――――




  この話は、川崎市川崎区旭町にある、医王寺に伝わる伝説といわれてきたが、 医王寺は、かっては周囲をたんぼで囲まれていて、類焼を受けたという記録がなく、 その真偽は定かではありません。


  (かながわのむかしばなし50選)より






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