むかし、三浦の浜辺の村に、若い漁師がおったと。
若者は、年に一度の祭りのころに、紀州から旅行商(たびあきない)にくる、 いとしげな娘と知り合った。 そして、二人は夫婦(めおと)になることを、かたく約束した。
「こんな女だけど、よろしくお願いします。お父(とう)もお母(かあ)も、 きっとよろこんでくれます」
娘は、来年の春まっていてくださいというと、いそいそと船着き場へ走っていった。 沖へ向かう船で、娘はいつまでも手をふって別れをおしんでいた。 若者も、船が沖合に小さくなり、消えるまで見送っていた。
二人の仲は、浜じゅうに知れ、村の人たちも、晴れの日がくることを、わがことのように喜んでくれた。
「いい娘さんじゃねえか、これでおめえも幸せになれるよ。 亡くなったお父もお母も、きっと喜んでくれるよ」 浜にいあわせた村人は、若者の肩をたたいて帰っていった。
それからの若者は、晴れの日を夢見ながら、まだ夜が明けぬうちから沖へ出て、 日がしずむまで漁をしていた。 「むりするでねえ。娘さんはどこへも行きはしねえよ。それよりもからだがだいじだ」 村の人たちはそういってくれたが、若者は、婚礼にはたくさんの人をよんでもてなさねばと、 働き続けていた。
長い冬がやっとすぎた。 桜のつぼみもふっくらとして、若者の心をあらわしているようだった。 若者は、浜の岩に立っては沖合を見つめ、娘がいつ来るか、いつ来るかとまちこがれていた。
こんな日が、いく日も続いた。 岩へ通いつめる若者の姿は、はたで見ていても胸がいたくなるくらいだった。
見かねた村人が、 「きっと来るよ。何かのつごうでおそくなっただ。それに、このごろの海は荒れている。 凪(な)いでくれるのをまっているだよ」 と、なぐさめたが、若者は浜の岩へ通いつめるのをやめなかった。 そして、いつも重い足どりで帰ってくるのだった。
こうした毎日をくり返しているうちに、若者はふとした病(やまい)がもとで寝つき、 間もなく帰らぬ人となってしまった。 その日、三浦の里の桜は、いっせいにはらはらと散っていた。
それからいく日かして、晴れ姿の娘が来た。 娘は悲しい知らせを村人から聞くと、おどろき悲しみ、うちしずんで浜の方へ歩いていった。
次の朝、漁に出ようとした村人が岩のそばを通ると、娘がたおれていた。 「娘さん、娘さん」 と声をかけ、だき起こしたが、返事はなかった。 娘がたおれていたのは、若者がいつも立っていた岩とならんでいる、小さな岩の下だった。 村の人たちは、 「あんなにたのしみにしていたのに。かわいそうじゃ」 と、小さい方の岩に娘の名をきざみ、大きい方には若者の名をきざんで、 二つの岩を夫婦岩(めおといわ)と名づけた。
夫婦岩が雨にうたれると、なみだのようなしずくが流れ落ち、 岩と岩の間でいっしょになって海へ流れていくのだった。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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