むかし、伊勢原の大句(おおく)に大地主がいた。 大地主は、おおぜいの人をやとっていましたが、その中に気だてがよく、 働き者の美しい娘がいました。 ところが、大地主の一人息子は、この娘に思いをよせていました。
息子から「嫁にしたい」とうちあけられた地主は、はじめはゆるさなかったが、やがて、 「この娘なら、息子と力を合わせて、りっぱに家をついでくれるだろう」 と思うようになった。
しかし、親戚の者たちは、 「本家の若旦那(わかだんな)ともあろう者が、下働きの娘などと ・・・・・ 」 といって、二人の仲をみとめようとはしなかった。
そして、「ほんとうに働き者なのかどうか、 あの五反田(ごたんだ)に一人だけで田植をさせてみよう。 もし一日でできたら、嫁にしてやってもいい」 と、言い出しました。
五反田というのは、一枚で五反の広さがある田んぼのことで、 一人や二人で田植ができるはずがありません。 だが、親戚の者たちは、娘に五反田の田植をやらせることに決めてしまいました。
その日がやってきました。 娘は、東の空が明るくなると、すぐ五反田に入った。 娘は、わずかの休みさえとらず、手早く苗を植えていった。 しかし、五反田は広い。植えても植えてもきりがありません。 汗と泥にまみれて働く娘を、息子は祈るように見守るばかりでした。
陽(ひ)が西に傾いたころ、田植えはまだかなり残っていた。 娘は、疲れきった体にむちうって、苗を植え続けました。
「もう少し ・・・・・ 、もう少しで ・・・・・ 」 娘が空を見上げると、陽は、すでに山にかたむきかけていました。 娘は、必死の思いで手を合わせ、祈った。 「お願いです。もう一度五反田を照らしてください」 すると、ふしぎなことが起こった。 しずみかけていた陽が、ゆっくりと西の空へ昇りはじめたのです。
五反田を照らす陽の光の中で、娘は最後の苗を植えました。 しかし、植え終わると、娘はたおれ、そのまま息をひきとってしまいました。 そのとき、陽はつるべ落としに山の向こうに消えてしまいました。
秋祭りが近づき、あたりの田では稲が重く穂をたれていた。 だが、五反田の稲の穂には、ただ一つぶの実りもなかった。
やがて村人は、五反田のかたわらに地蔵を立て、娘の霊をなぐさめたと。 伊勢原市大句にある乙女地蔵がそれだと、今に伝えられています。
―――― おしまい ――――
五反田とは一枚で五反、つまり約五十アールの広い一枚田のことです。 この話の舞台になった五反田は、平塚市と伊勢原市の間にある『大句(おおく)バス停』の近くにありました。 「五反田を現わす大きな区」という言葉が、のちに「大句」に変化したともいわれています。
入り日を呼び戻す話は、「日招き伝説」として全国各地に分布していて、神奈川県下でも、 小田原市成田の「嫁田のはなし」、三浦市上宮田の「小松ヶ池」の伝説などに、似た話が残されています。
(かながわのむかしばなし50選)より
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