2010/06/27

五反田の乙女地蔵


【  27.五反田の乙女地蔵 /(伊勢原市)  】


  むかし、伊勢原の大句(おおく)に大地主がいた。
  大地主は、おおぜいの人をやとっていましたが、その中に気だてがよく、 働き者の美しい娘がいました。
  ところが、大地主の一人息子は、この娘に思いをよせていました。

  息子から「嫁にしたい」とうちあけられた地主は、はじめはゆるさなかったが、やがて、 「この娘なら、息子と力を合わせて、りっぱに家をついでくれるだろう」
と思うようになった。

  しかし、親戚の者たちは、
「本家の若旦那(わかだんな)ともあろう者が、下働きの娘などと ・・・・・ 」
といって、二人の仲をみとめようとはしなかった。

  そして、「ほんとうに働き者なのかどうか、 あの五反田(ごたんだ)に一人だけで田植をさせてみよう。 もし一日でできたら、嫁にしてやってもいい」
と、言い出しました。

  五反田というのは、一枚で五反の広さがある田んぼのことで、 一人や二人で田植ができるはずがありません。
だが、親戚の者たちは、娘に五反田の田植をやらせることに決めてしまいました。

  その日がやってきました。
娘は、東の空が明るくなると、すぐ五反田に入った。
娘は、わずかの休みさえとらず、手早く苗を植えていった。
しかし、五反田は広い。植えても植えてもきりがありません。
  汗と泥にまみれて働く娘を、息子は祈るように見守るばかりでした。

  陽(ひ)が西に傾いたころ、田植えはまだかなり残っていた。
  娘は、疲れきった体にむちうって、苗を植え続けました。

「もう少し ・・・・・ 、もう少しで ・・・・・ 」
  娘が空を見上げると、陽は、すでに山にかたむきかけていました。
  娘は、必死の思いで手を合わせ、祈った。
「お願いです。もう一度五反田を照らしてください」
  すると、ふしぎなことが起こった。
  しずみかけていた陽が、ゆっくりと西の空へ昇りはじめたのです。

  五反田を照らす陽の光の中で、娘は最後の苗を植えました。
  しかし、植え終わると、娘はたおれ、そのまま息をひきとってしまいました。
そのとき、陽はつるべ落としに山の向こうに消えてしまいました。

  秋祭りが近づき、あたりの田では稲が重く穂をたれていた。
だが、五反田の稲の穂には、ただ一つぶの実りもなかった。

  やがて村人は、五反田のかたわらに地蔵を立て、娘の霊をなぐさめたと。
  伊勢原市大句にある乙女地蔵がそれだと、今に伝えられています。



―――― おしまい ――――




  五反田とは一枚で五反、つまり約五十アールの広い一枚田のことです。
この話の舞台になった五反田は、平塚市と伊勢原市の間にある『大句(おおく)バス停』の近くにありました。
「五反田を現わす大きな区」という言葉が、のちに「大句」に変化したともいわれています。

入り日を呼び戻す話は、「日招き伝説」として全国各地に分布していて、神奈川県下でも、 小田原市成田の「嫁田のはなし」、三浦市上宮田の「小松ヶ池」の伝説などに、似た話が残されています。


  (かながわのむかしばなし50選)より






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