むかし、半原(はんばら)に、お糸というとても糸繰り(いとくり)の上手(じょうず)な人がいました。 どんなにもつれた糸でも、お糸の手にかかると、まるでかいこの精にあやつられるように、するするとほぐれてしまうのです。 糸の町、半原にも、糸繰りでお糸にかなう者はいませんでした。
お糸には、おちよという娘がいました。 おちよは、おさないときから、母のそばで遊びながら糸繰りのまねをしていたので、いつとはなしに、人なみに糸繰りができるようになりました。 小さなおちよは、いつも母のそばにすわって、きような指をせっせと動かして、母の仕事を助けていました。
ところが、おちよが八つになったある日、お糸はふとした病がもとで亡くなってしまったのです。 ついこのあいだまで、いつもやさしい母がいた家の中で、おちよは一人ぼっちで、さびしさをこらえ、母の代わりに、いっしょうけんめいに働きました。
やがて、二度目の母がきました。 しかし、その人は、お糸のようにやさしい母ではありませんでした。 まま母は、おちよが自分よりも、糸繰りがうまいのを知ると、くやしくてたまらなくなり、いつもよい糸は自分が取って、おちよには、悪い糸だけをわたすのでした。
ある日、まま母は、わざともみくちゃにした糸を、おちよの前にほうり投げて、出かけてしまいました。 もみくちゃにされた糸は、ほぐそうとすればするほど、ますますからみ合って、どうすることもできません。 一人ぼっちのおちよは、糸のかたまりを前にして、しくしくと泣いていました。
おちよは泣きながら、 「お母さん、どうしたらいいの」と、心で呼びかけていました。 すると、どこかで、 「おちよ、おちよ」と、声がします。 おちよが耳をすますと、また、 「おちよ、おちよ」と、声がします。 おちよは思わず、 「お母さん」と、叫びました。
じっと耳をすませて聞くと、小鳥が、 「おちよ、おちよ、ふきふきほぐせ」 「おちよ、おちよ、ふきふきほぐせ」と、鳴いているのです。
おちよは、はっと気づいて、小鳥のいうとおり、 「ふーっ、ふーっ」 と、息を吹きかけながら、一心に糸をほぐしました。 すると、あのもみくちゃの糸が、するするとほぐれ始めたのです。
「ふーっ、ふーっ」 息を吹きかけていると、ふしぎに心が落ちつき、糸のすじが見えてきます。 おちよの小さな手は、まるでお糸の心に動かされているようでした。 小鳥は、いつの間にかいなくなっていました。
この日をさかいに、いちだんと腕の上がったおちよは、やがてお糸に負けないくらいの、 糸繰りじょうずになったということです。
―――― おしまい ――――
この話が残されている愛川町半原地区は、かって県内でも有数の生糸の生産が盛んなところであった。
古今東西、継母(ままはは)にいじめられる話は珍しくないが、この話は製糸に関する作業のこつや、作業に際してのしつけなどを教える説話として、 語り継がれてきたものとも考えられ、さらに類話がないところから、ある特定の地域だけで伝承されてきたものではないかとも考えられている。
蚕(カイコ)を育て、その繭(まゆ)から絹糸を取り、織物が作られるまで、いかに大変な時間と労力を要するかを知ることにより、 それを消費する側にも、物を粗末にしないための教訓として、語り継がれた話ではないかとも思われるが、今となっては推測の域をでない。
(かながわのむかしばなし50選)より
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