むかし、ある若者が、沼のほとりで笛を吹いていると、 どこからともなく美しい女があらわれて、笛の音に聞きほれていました。
このような夜が、いく日かつづき、二人は恋しあって夫婦となりました。 やがて、身ごもった妻は、出産が近づいて産屋(うぶや)に入るとき、 「どうか部屋をのぞかないでください」 といいました。
しばらくして、男は部屋の前に立って声をかけましたが、返事がありません。 いくら呼んでも妻は、返事をしないのです。 男が不安のあまり、約束を忘れて戸を開けてみると、大蛇が男の子を抱くように、 とぐろをまいていました。
びっくりした男は、あわててそこをはなれました。 やがて、妻は男のもとにやってきて、なみだをこぼしながら、 「わたくしは、沼の主の大蛇だったのです。 いつまでもいっしょに暮らしたいと思っていましたけれど、本当の姿を見られたからには、 もう人間の世界に、とどまることはできません。 どうか残していくこの子を、たいせつに育ててください。 そのために、これを使ってください」 と告げて、千両箱を置いて沼の方へと消えていきました。
そして、ふしぎなことに、妻は片目になっていました。 父親となった男は、千両箱には手をつけず、大切にしまっておきましたが、 ある日、何者かにぬすまれてしまいました。 おどろき悲しんだ男は、沼のほとりにたって、妻にわびました。
すると、大蛇が出てきて、 「あの千両箱は、わたくしの片目でした。 残りの一つをあげれば、わたくしは、目が見えなくなってしまいます。 わが子のためならばいといませんが、目が見えなくなってしまっては、 あなたと子どもの、ぶじな姿も見ることができません。 そこでお願いです。 沼のほとりに鐘撞堂(かねつきどう)を建てて、鐘をついてください。 わたくしは、その鐘の音が聞こえたら、二人ともぶじに暮らしていると思いましょう」 といいました。
次の日の夜、また男の家の前に、千両箱が置いてありました。 妻は、とうとう盲目になってしまたかと、男はなげき悲しみました。 そして、そのお金で鐘撞堂(かねつきどう)を建て、親子で毎日鐘をついて、 二人がぶじに暮らしていることを、妻に知らせていたということです。
―――― おわり ――――
この昔話は、「蛇の目の玉」という名で、ほぼ全国的に分布している昔話です。 両目を失った母親の蛇が、この話のように、自分の住む沼や湖の近くのお寺やお堂に、 鐘を納めてもらって、朝夕の時を知らせて欲しいといって水中に帰っていくものと、 蛇が目の玉を盗んだ者に復しゅうをするといったものの、二つの型があるようです。
鐘の音を聞かせてほしいということから、湖畔のお寺の縁起のようになっているものも多いいようです。 また、この話のなかで重要な素材となっている、出産にともなう禁忌(きんき)ということは、 世界各民族の間に、さまざまな形で伝承されている習俗です。 わが国でも、『古事記』にでてくる豊玉姫の説話などは、古くから有名です。 約束をやぶられ産屋をのぞかれた豊玉姫は、海神の国へ帰ってしまうことになる。 昔話の世界でも「異類婚姻譚」とよばれているものは、出産その他女性が、 忌を守っている場合に、禁忌の場をかいまみた男(夫)は、 その報いとして破婚の悲しみを受けるというのが普通でした。
これとは少し異なりますが「鶴女房:つるの恩返し」の話では、 機織りをしているところをみられて、鶴女房が去っていくことになるが、 機屋もまた、女性にとっては重大な忌みの場所であったのでしょうか?。
(かながわのむかしばなし50選)より
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