むかし、むかし、それはもう気の遠くなりそうなくらいおおむかしのこと。 「でいらぼっち」という、とほうもなく大きな男がいた。
あるとき、富士山を藤づるでせなかにしばりつけて、西の方から、のっしのっしと歩いてきた。 さすがに富士山は重く、のどもかわいたので、 「どれ、ちょっとひと休みしようかい」 と、富士山をドデーンと下ろし、大山の上へ、どかっと尻をすえた。
すると、大山の上は、平べったくなってしまった。 手をのばして、相模川の水をすくって飲んだら、川はみるみる干上がってしまった。 「でいらぼっち」は、もっと東へ行こうとして、 「そろそろ、でかけるとするか」 と、また富士山をせおうつもりで、手をかけた。
ところが、ところが、まるで根を生やしたようにびくともしない。 富士山をしばっていた藤づるを、力まかせに引っぱったら、プチーンと切れてしまった。
そこで、かわりの藤づるはないかと、ふんどしを引きずりながら、 相模野(さがみの)じゅうをさがしまわったが、一本も見当たらないので、いらいらしてきた。 かんしゃくを起こした「でいらぼっち」は、じんだらじんだら足をばたつかせて、大風のようにわめいた。
「ええい、藤づるはここには生えるな!」 と言って、どこかへ行ってしまったと。 それからずーっと、富士山は今の場所にあるし、相模原には藤づるが生えなくなったと。
そうして「でいらぼっち」が、じんだらじんだらやったあとは、鹿沼(かぬま)と菖蒲沼(しょうぶぬま)の二つの大きな沼になり、 「じんだら沼」と呼ばれた。
それから、ふんどしを引きずったためにできたくぼ地は、「ふんどし窪(くぼ)」と名がついたそうな。
―――― おわり ――――
この話は、神奈川県下をはじめ、関東など富士山をのぞむ地域に、 ひろく分布し「だいだらぼっち」、「でいたらぼっち」、「でいらぼう」、 「大太法師(だいたらぼうし)」など、地方により、 さまざまな呼び方をされている「巨人伝説」である。
鹿沼(かぬま)と菖蒲沼(しょうぶぬま)は、JR横浜線の淵野辺駅前にあり、 江戸時代の国学者・高田興清(ともきよ)の『松屋筆記(まつのやひつき)』に、 相模野の大沼として紹介されているのが、この沼のことと言われています。 ふんどし窪があったのは、下溝の県立相模原公園の付近にあたり、 藤づるを切るために、鎌(カマ)を研いだというので、鎌とぎ窪とも言われていました。
このほか、相模原には、矢部の村富神社付近、旭中学校(橋本)の西側、 向陽小学校(向陽町)の北側に、でいらぼっちの足跡と伝えられるくぼ地がありました。 県内には、横浜市磯子区・鶴見区・神奈川区、逗子市沼間、横須賀市長沢などに、 でいらぼっちの尻餅(しりもち)をついた跡や、足跡といわれるくぼ地がありました。 日本での巨人伝説は、古くからあり、「だだ坊」、「だだ星さま」、 「でんでんぼめ」などの名もあり、いろいろな話が、全国に分布している。
この伝承に共通する足跡の話は、中国の「雷沢(らいたく)」 (中国の山東省濮(ばく)県の東南にある沢)にまつわる話の、 神話的観想と通じるのものもあるかもしれませんが、特に沼や沢との関わりを伝えるものが多いところから、 水神信仰との関わりを説く人もいる。 「だいだらぼっち」や、「だいたらぼうし」を、「たたら」の転訛であるとして、 この話の広まりは、鍛冶職との関係があるとの説もある。
(かながわのむかしばなし50選)より
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