2010/05/21

泣ヶ原の地蔵


【 21.泣ヶ原の地蔵(なきがはらのじぞう) / (大磯町) 】


  大磯町虫窪の県道わきに、石の地蔵菩薩像があり、 「イボとり地蔵」として、近隣の人々の信仰をあつめていましたが、 ここには以前、別の石仏があり、「泣ヶ原の地蔵さん」と呼ばれていたといいます。
  石仏はその後盗難にあい、現在の地蔵菩薩像は、南足柄の最乗寺から招来し、 祀り直したものだということです。このはなしは、「泣ヶ原の地蔵さん」とよばれた石仏に伝わる伝説です。




  むかし、平塚(ひらつか)の在(ざい)の土屋(つちや)に、 仲むつまじい若夫婦(わかふうふ)がおった。
二人の仲(なか)は、村でも評判(ひょうばん)だった。

  ある秋の取入れがすんだ時、夫は村の仲間二人と連れだって、 お伊勢参(いせまい)りに出かけた。
  若い妻は、夫が見えなくなるまで見送っていた。

  お伊勢参りに行った三人は、ぶじにお参りをすませると、 土産(みやげ)を手に家へと急いだが、大井川(おおいがわ)まで来ると、 上流にふった雨で水かさがまし、川どめとなっていた。
三人は、川をわたることができず、金谷宿(かなやじゅく)で、 川どめがとかれるのを今か今かとまっていた。

  しかし、三日たっても、四日たっても川どめは、 とかれなかった。
  若い妻を残してきた男は、なんども川会所(かわかいしょ)へ行っては、 川どめの立て札を見て、重い足どりで宿へもどると、妻を思いうちしずんでいた。
  とうとうその夜、男は仲間(なかま)がとめるのもきかず、 ふりきるようにして川を渡りはじめたが、川の流れが強く、 川の中ほどまで来たとき、濁流(だくりゅうに)におし流されてしまった。

  やがて川どめがとかれ、連(つ)れの二人は土屋に帰ってきたが、 出むかえていた男の妻には、かわいそうでどうしてもほんとうのことが言えず、
「急に用事(ようじ)ができたといって、伊豆(いず)の方へ行ったよ」
「なんでも舟で帰ると言っていたよ」
と、その場のがれに、うそをついてしまった。

「伊豆へ、いったいどんな用事ができたのでしょう。
出かける前、わたしには、そんなこと一言(ひとこと)もいっていきませんでしたのに 」
と言うと、若い妻はさびしそうに帰っていった。

  つぎの日から、相模湾をみわたせる虫窪(むしくぼ)の高台の原に立って、 じっと海をながめ、船が来るのをまっている若い妻のすがたがあった。
  つぎの日も、そのまたつぎの日も、雨がふっても、風がふいても、若い妻は、 山道を通いつめ、高台の原に立って夫(おっと)の帰りをまちわびていた。

  いく日もたった。それでも若い妻は、山道を登って行くのだった。
  ある日、見るに見かねた二人の男は、今日こそほんとうのことを言わねばと思い、 高台の原に登ってみると、若い妻は身も心もつかれはてたのか、帰らぬ人となっていた。

  この話を聞いた村人たちは、若妻(わかづま)の美しい心を忘れまいと、 ここにお地蔵(じぞう)さまを祀(まつ)って供養(くよう)した。
  それからは、この原を泣ヶ原(なきがはら)とよぶようになったという。

  地蔵堂(じぞうどう)のそばには、桜の木があったが、 亡(な)くなった若妻の心を語るように、春になっても、つぼみすらつけたことがないのだと。


―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 泣ヶ原の地蔵・解説文  

  この話は、大磯町に伝わっているほか、となりの二宮町にも、 類似の話が伝わっている。
しかし大礒と二宮のそれでは、話の内容に若干の相違がみられる。

  二宮の話では、伊勢参りに出かけたのは父親で、残された母子が父の後を追って死んだといい、 その場所は「今古芦原(こなきがはら)」であるという。

  妻(または恋人)が、夫や恋人を待ち続け、泣き悲しみ失意のうちに死んでいったという伝説は、 各地に残されていて、ここでも地蔵像建立譚として語り継がれてきたものと思われる。
  また、名を「五助」という若い百姓夫婦として語られているものもあり、むかしから、 このあたりの村では、嫁どりがあっても、その行列は、ここを通ると五助夫婦のように縁が切れると言われて、 泣ヶ原のお地蔵さまの前は通らなかったとのことです。

  また、泣ヶ原のお地蔵さまは、「イボとり地蔵」とも呼ばれ、むかしより、イボで悩む人は、 このお地蔵さまにあげられた石を持ち帰り、その石でイボをなぜると、イボはコロリと落ちたということです。
そして、そのお礼に石を倍にして返したということです。

  しかし、泣ヶ原のお地蔵さまは、以前盗難に遭ったために、現在の地蔵菩薩像は、 南足柄の最乗寺から招来し、祀り直したものだということです。
  最近では、仲むつまじい若夫婦の伝説にあやかってか、「愛の地蔵さん」とも呼ばれ、 縁結びの地蔵として親しまれているとか。



 (記念碑/その他)
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