2010/05/02

西行の戻松


【  2.西行の戻り松 / (藤沢市・片瀬)  】


 藤沢市の片瀬地区に残されている「西行法師」の伝説を紹介します。
  かって江の島の弁天さまに参詣する人々で賑わった「江の島道」の途中に、 「西行の戻り松」とよばれる松がありました。
  今は、片瀬市民センター近くの旧街道沿いに、松の木が植え替えられていて、 その横に江戸時代、杉山検校により建てられたと言われている「江の島道の道標」があります。




  むかし、むかし、京に西行法師という、えらいお坊さんがいました。
  ある時、鎌倉にいる将軍の源頼朝に会うために、京から鎌倉へやってきました。
  むかし、片瀬には、京と鎌倉を往来する街道が通っていました。

  もうすぐ鎌倉という片瀬の街道に一本の松の木がありました。
法師がこの松のあたりまでやって来たところで一休みしていたと。
すると、向うから村の若い娘が二人歩いて来たそうな。

  そこで、法師が、
「これ娘さんたち、これからどこへ行くの」と、訪ねたところ、
「冬まいて、夏枯れ草を刈りに行く」と、娘たちがこたえたと。

  これを聞いた西行法師は、おおいに感心し、「こんな田舎の娘でさえ、 このような気のきいた返事をするのだから、これから先へ行ったら、どんな人が居るか分からぬ。 ここから都に戻ろう」と言って、もと来た道を引返し、都へ戻って行ったそうな。

  それで、この松を「西行の戻り松」と、呼ぶようになったということです。その後、松は何代も植え継がれましたが、 今は、誰も気が付かずに通り過ぎてしまうほど、なんだか心細い松になってしまいました。


―――― おしまい ――――


● 西行の戻り松・解説文

  「西行法師」は、平安・鎌倉時代の有名な歌人で、全国を旅していたので、 各地にたくさんの伝説が残されています。
  鎌倉時代、幕府が置かれ政治の中心でもあった鎌倉の源頼朝のもとにも訪れていたという記述があり、 「京・鎌倉往還」でもあったこの街道にも、この様な逸話が残されていたのでしょうか。  いかにも歌人・西行らしい逸話です。

  また、この松には、「枝ぶりの見事なその姿が西の方に傾いていたため都が恋しくなり、 その枝をさらに西の方に向けて立ち去った」などの言い伝えもあります。
  ところで、冬種をまいて、夏に枯れて、刈る草って何んだと思いますか? 
答えは、「麦」。
娘たちは、これから麦を刈りに行くところだったんですね。


 (記念碑/その他)
   ・ 藤沢市片瀬/西行の戻り松








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