2010/05/10

源十郎と弥十郎


【  10.源十郎と弥十郎  / (鎌倉市・佐助ヶ谷)  】

  
 鎌倉幕府が滅亡して久しい室町時代、そのころの鎌倉は、街並みは寂びれ、長谷の大仏周辺は草原で家畜が野放しになり、 大仏を拝む人などなく、由比の浜辺には打ち上げられた人骨が、野ざらしになっている。そんな寂しいところでした。
  このお噺(はなし)は、その頃の話でしょうか。




  むかし、鎌倉に源十郎という魚売りが住んでいました。
  ある日、いつものように魚かごをかついで由比ヶ浜(ゆいがはま)を通りかかると、犬に追われた一匹のきつねが、 逃げ場を失って、魚かごの中へ飛び込んできた。
源十郎は、かわいそうに思って、犬を追い払い、きつねを助けてやりました。

  その夜のことです。
きつねが源十郎の夢の中にあらわれました。
「今日は、あなたのお情けで、命を助けていただきました。このご恩返しに、よいことを教えてあげます。
  あなたは、これからは魚売りをやめて、佐助ヶ谷(さすけがやつ)で、大根をたくさんお作りなさい。そうすれば、きっと幸せになれます」
きつねがそう告げたと思うと、源十郎は、教えられたとおり、佐助ヶ谷に畑を借りて、大根をせっせと作りました。

  その年の冬、悪い病気がはやり、鎌倉じゅうにひろがりました。
  この病気にかかったものは、十人のうち、八、九人も死んでしまうというありさまで、みんなこまってしまいました。
  すると、病人のまくらもとに神さまがあらわれて、
「病気をなおしたいと思うなら、佐助ヶ谷で源十郎が作っている大根を、買って食べるがよい。そうすれば、たちどころに全快しよう」 と、教えた。

  このお告げをうけた人は、鎌倉じゅうに、言いふらしましたから、病気で苦しんでいる人々は、われ先にと源十郎をたずねて、 大根を買って食べました。
  すると、まことにお告げのとおり、病気は、すぐに治りました。

  そういうわけで、源十郎の畑の大根は、みるみるへっていきました。源十郎は、大根がへるにしたがって、ねだんを上げていったので、 しまいには大金持ちになりました。
  源十郎は、これもきつねの教えのおかげだと、ありがたく思って、稲荷明神(いなりみょうじん)の社(やしろ)を建てました。

  そうこうするうち、源十郎の家では、米もお金もわくようにふえていくので、鎌倉でも指折りの大金持ちになりました。
  こうなると、人というものはとかくおごりの心を起こしやすいもので、源十郎もその一人でした。 そのうえ、奉公人(ほうこうにん)までが、勝手気ままなことをするようになったため、世間の人からつまはじきされるようになり、 そのひょうばんは、とうとう公方(くぼう)さまの耳に入りました。

  けしからぬやつだ、と源十郎は財産を取り上げられ、鎌倉から追放されてしまいました。
  源十郎は、夫婦ふたりきりで、遠い筑紫国(つくしのくに)へさすらっていくことになりました。
源十郎が身につけているものといえば、二、三年の間、やっと暮らせるほどのわずかなお金だけでした。
  筑紫に行くには、途中船に乗らなければなりません。源十郎夫婦は、乗合船に乗りました。

  ところが、沖に出ると急に波風が立ち、船は今にも沈みそうになりました。
すると船頭は、
「こういうときには、持ち合わせた宝を、海へ投げ入れるほかありません。 そうすれば、竜王さまがお納めになって、難をのがれることができます。 命がおしいなら、金銀でも何でもかまわぬから、値打ちのある物を海へ投げ込んでください」
というのです。

  源十郎は、命にはかえられませんから、たいせつに持っていたお金を、海の中へ投げ入れました。
  ふしぎなことに、波風はたちまちしずまって、船はぶじに博多(はかた)の港へ着くことができました。

  それは、ちょうど十二月晦日(みそか)のことでした。
 明日は元旦です。
  源十郎の妻は、
「いつものとおり、腹太(はらぶと)を買って、正月をめでたくお祝いしましょう」
といいました。

  しかし源十郎は、船の上からお金をほとんど投げ込んでしまったので、もうほんの少ししか残っていません。 とても、お祝いの魚どころではないので、
「そんなぜいたくはよそう」
といいました。

  けれども、妻はどうしても聞き入れません。仕方なしに、源十郎はさいふをはたいて、歳取り魚として、腹太を一匹買いました。
  さっそく料理にとりかかりましたが、魚の腹に包丁(ほうちょう)をあてると、なんと、腹の中から海へ投げ込んだお金が、 そっくり出てきたではありませんか。
  源十郎は、びっくりして、これはきっと、神さまのお計(はか)らいにちがいないと、ありがたくいただきました。

  そして、このお金を元手にして、商売を始めたところ、何から何までうまくいって大もうけが続き、 とんとん拍子(びょうし)にまた大金持ちになりました。
  源十郎は、生まれ変わったつもりで、名を弥十郎(やじゅうろう)とあらためました。

  その後、公方さまの代がかわり、むかしの罪は許されることになりました。弥十郎もご赦免(しゃめん)になり、 また鎌倉へ帰ることができました。
  そして、前にもまさる大商人(おおあきんど)として楽しく暮らしましたが、今度は、以前のようなおごりをやめ、貧しい人を助け、 よい行いをしたので、人びとからほめられ感謝されて、幸せな一生を送ったということです。



―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 源十郎と弥十郎・解説文

  この話にある「佐助ヶ谷の稲荷明神」とは、鎌倉市にある「佐助稲荷神社(さすけいなり じんじゃ)」 (現・鎌倉市佐助2-29)のことでしょう。

  この稲荷神社にかかわる伝説は、この他にも幾つかあり、この話のもととなった話は、 江戸時代初期(万治二年(1659年)頃)に書かれた、『金兼藁(きんけんこう)』という旅日記のようなもの(儒学者・林羅山の子、 林春徳または門人のいずれかの者により書かれたと推定されているが作者不明)の 「十郎弥十郎事」(佐助稲荷霊験譚)にも記されている。

 (記念碑/その他)
   ・ 鎌倉市佐助・「佐助稲荷神社」
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